正義

今日、夏祭りがあった。

その中でミニカーを走らせるゲームがあり、特定の線ぴったりに停めたらNintendo Switch2を貰えるという特典があった。

 

そして私もそれをやったが、結果としてSwitch2を得られず、それは他人の手に渡った。

 

しかしここで重要なのは、このとき私は悲しさとか悔しさ、虚しさだとかを感じなかったことだ。

疲れもあるかもしれなかったが、Switch2を取られたことよりも、ゲームの場所から人がいなくなったこととか、輪投げで貰った30袋の餅太郎のことを気にしていた。

 

つまり、Switch2を求めていたのではなく、ただ人気のあるものとか価格が高いものとしてなんとなく、得られたらすごいという心持ちで参加していたのかもしれない。

私が一回もSwitch2の抽選へ応募していないことはその証拠になりそうだ。

 

ところで私は流行が好きではない。

人気や知名度のあることが悪いこととは言わないしそれに便乗するのも悪いとは限らないと思う。

同時に私は、あらゆるものごとの正しさは全て自分自身の価値観によって考えるべきであり、それを他人が変えようとしてはならないとも考えている。

つまり意思をもてということだ。

 

だから、自分がそれを気に入っているかではなく「他人がそれを高く評価していること」に乗っかるのは嫌いだ。

そしてそれを自分が実際にしてしまったと考えている。

他人らの動きによって、深く考えていなかった私は思考や行動を変えてしまった。

 

過度に世間の潮流を避けるのは他人と関わりづらくなるかもしれない。

それでも私は、鬼滅の刃とかMrs.Greenappleとかに群がる、私の価値観における莫迦どもと同じようになっていたくはない。

私はこういう思想のもとでなんと言われようと、根幹となる「自分の価値観でものごとを云うべき」という考えは曲げない。

蛇足

「見出し」というと「みだし」だが、

「見出す」というと大抵「みいだす」である。

「い」の由来は?

 

普通に「みだす」と読むことも一応あれば「乱す」という言葉もあって

言いやすさの問題にしたって不自然ではないか。どこから現れたのか。

 

英語でいう「knife」の「k」発音しないなら書かなくても良くない?的な事象。自然言語ismである。

巨大

天の川は英語では「ミルキーウェイ」というそうで。

これは聖書に書かれている「天の川は女神ヘラの母乳が流れ出たものである」という神話に由来するそうな。

 

んで、母乳が流れた程度で銀河ができる、ということからギリシャ神話の人たちが考える「神」の規模が見えてくる。

女神ヘラがどれくらい偉いとか強いとかは知らないけど、少なくとも銀河並みで、

そしてそれは母乳の話だから神そのものでいったら何倍あるんだろうね。どれくらいあると思う?

 

日本だとさ、神が出てくるゲーム(『写るんです』とか)があるけど、大抵は人間と同じ程度の大きさをしていて宇宙規模とかそんな馬鹿でかいことは少ない。

ついでに神無月は出雲大社に神が集まるとかいうけど、八百万の神(全員銀河以上の大きさ)が一箇所に集まれるのか、という問題が出てくる。

 

比較しては、

日本だとアニミズムとかいって抽象的かつ身近に考えていて、

西洋だとはっきりと偉大なものと考えている。

そう言えるのではないかと。